携帯電話のSDカードを整理していたら以前訪問したお城の写真が幾つか出て来たので数回に分けて紹介していきたいと思います。 |
今回は当院の強力な番犬、黒柴犬・ケンタロウ君を紹介します。生後1ヶ月頃に我が家にやって来たつわものです。ただ、あまり賢くないのか飼い主の言う事をあまり聴かずに注意されても同じ事ばかり繰り返していましたが(例えば、注意されても何度も服や物を噛みちぎる)、犬だけに“ワン・パターン”なんだろうと妙に納得しておりました。当初、名前は先代の飼い犬がフィラリアで亡くなった事もあり、出来るだけ健やかに育ってほしいと“健太郎”と命名するつもりでしたが、家族会議の結果やっぱり賢い方が良いという結論に至り、“賢太郎”に落ち着きました。しかし、1歳を越えた頃から育て方を誤ったのか大変凶暴になり、機嫌が悪い時は私を含み家族を理由もなく噛むようになりました(実際、私は手・足を合計4針縫いました)。そういう訳で現在は、“険太郎”と皆から恐れられています。番犬としては優秀なのかも知れませんが---。 |
正月休みを利用して播州赤穂へ日帰り・歴史探索に行ってきました。 |
11月の連休を利用して奈良・近江方面への医師会研修旅行に参加して来ました。 |
◆お城巡りとシンボルタワー◆
私は小学生の頃から日本の歴史が大好きで“漫画・日本の歴史”を含み多くの歴史に関する書物を読み漁りました。そのためか医学という理系の道を選択しながら、高校の成績は日本史が一番よかったと記憶しています。
そんなこともあり、子供時代の趣味はお城巡りであり、三つ子の魂百までというか未だに趣味として持ち続けています。例えば学会で地方都市を訪れた際に近くにお城があれば昼休みや議事総会等の時間を利用して出掛ける事もしばしば。それに加えて、最近では休日を利用してお城を見るためだけに遠方に旅行することもあります。一応家族も誘うのですが、都会好きのわが家族にとって田舎への観光はあまり喜ばれず、寂しいかなほとんどが一人旅です・・・(笑)。
しかし、私の思い入れに反して、意外にも一部の例外を除いて城郭は観光地としてはそれ程の人気スポットではない感じがします。
その一因として元々城郭は外部からの侵入者(敵)に攻められにくく造られているために観光の最終目標である本丸・天守閣に達する道のりが容易でないためではないでしょうか。即ち、山城はいうまでもなく、平城でさえもいくつもの曲がりくねった通路を走破せねばならず、かなり骨の折れる仕事だと思います(天下の名城・姫路城や熊本城に行かれた方は御納得していただけると思うのですが---)。
そういう訳で昨今の観光の主役である老人方が敬遠するのも致し方なく、予想外に寂れた城郭やみあげ物屋が目立ちます。只、私自身はこの骨の折れる仕事を体力保持のバロメーターとして活用しています。例えば、日本一高い石垣を有する丸亀城に登ると年毎に息切れが増すのがよく分かり、普段はそれ程感じない日々の運動不足を再認識してスイミング・スクールに通う回数が増えたり、といったものです。
御存知の方も多いかもしれませんが、全国には沢山のお城が存在するがそのシンボルである天守閣が明治以前の建造物として残存するのは12箇所に過ぎません。これは明治政府に対して当時の藩主が恭順の意を示す意味で自ら天守閣を破壊したり、第二次世界大戦の空襲により失われたりした場合が多いためです。
具体的には、弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、松江城、姫路城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城がこれに該当します。幸い中国・四国地方に多いこともあり、既に私は弘前城を除き11箇所を訪問することが出来ました。それぞれの規模や風格には違いがあるが、どの天守閣も趣がありそれなりに楽しませてくれます。当然残る弘前城も出来る限り早い時期に登城したいと考えているのですが、一方で新たに造り替えた天守閣を見たり、登ったりするものほど興ざめする事はないんです・・・。大阪城、名古屋城、伏見桃山城等の鉄筋コンクリート造りは言うまでもなく、古来の設計図を忠実に再現したとされる木造の大洲城でさえもかなりの違和感を覚えました。今、高松では観光のシンボルとして高松城天守閣の再興計画が進んでいます。
生来初めて出会ったお城が高松城であった城郭フェチとして一言言わしてもらえれば、確かな設計図さえもない高松城天守閣を多額の税金を使って再興することは愚の骨頂なのでは・・と考えてしまいます。古くから残存する石垣、堀、櫓からなる城郭、それでこそ古城の趣があるのではないかと思うし、高松には多額の税金を投じたシンボルタワーは既に存在するのになんで今更・・・という気がしてならない今日この頃です。
【宮崎 雅仁】
今年の夏は例年を遥かに越えて暑い日が続き、9月になってもその衰えを知らなかった。毎年夏場は感染症患者が減少する時期だが、夏風邪ウイルスさえも暑さに耐えられなかったのか取り分け今年は特別のように感じた。亡岳父が内科という事もあり、「揺りかごから百歳まで」の年齢層をカバーしている当院ではあるが、通常はその多くが小児感染症患児で占められている。しかし、この時期は慢性疾患の患者、特に成人・高齢者の比率が高くなる。その中である日の午後の診察中に待合室での患者同士の会話がもれ聞こえてきた。70歳代の女性が偶然100歳近い恩師と出くわしたらしく、女性「○○先生でいらっしゃいますか?」、先生「そうですが?-。」、女性「○○尋常小学校でお世話になった○○です。」、先生「そうですか。何歳になられましたか?」、女性「75歳になりました。」、先生「まだ、御若いですな。」。極暑を忘れさせてくれる程のほのぼのとした会話だが、理屈っぽく言うと相対的/主観的評価では正しいが、絶対的/客観的評価としては少し問題がある話しである。
最近、テレビを観ていてスポーツ・ニュースで大変気になる事がある。ゴルフ界の若手のホープI選手に関する報道である。私自身はゴルフをしないのでその実力を直接計り知る事は出来ないが、回りのゴルフ通の先生方の評価は確かに高いし、デビュー戦での優勝は大変素晴らしい。しかし、その後はそれ程の業績もなく、海外での優勝経験は皆無であり、今シーズンは国内27戦で3勝を上げたに過ぎない(平成22年11月24日現在)。それにも拘らず、ゴルフ関連のニュースは、I選手に始まり「勝って負けても○○○」、最近に至っては「負けても負けても○○○」の様相を呈し、あるニュース番組では「清々しい予選落ち」とも表現していた。ワールドカップ・南アフリカ大会のサッカー日本代表に対する手のひらを反したようなマスコミ報道も若干問題はあるが、本来スポーツの世界は勝てば官軍の実力社会である。ゴルフ界全体の景気浮揚策との大人の意図も見え隠れするが、マスコミが同調すべき話でもない。待合室での客観性に欠ける話には、ほのぼのとしたものを感じても、マスコミが発する客観性や中立性を欠いた報道程厄介なものはない。
10月21‐23日に青森県弘前市で開催された第43回日本てんかん学会に参加して来ました。以前より弘前は古い町並みやお城を含み江戸時代からの建造物が数多く残されていると聴かされていたので出来る限り早く訪問したいと考えていました。この街は第二次世界大戦での空襲を受けておらず、また城下町という性格上、道路の走行がかなり複雑で「北に向ったつもりが西に歩いていたり、南に行くつもりが東に向いていたり」とこの歳で危うく迷子になりかけました。念願の弘前城へは学会場の近くという事もあり、昼休みを利用して簡単に登城することが出来ました。弘前城は御存知のように桜の名所として有名ですが、その天守閣は江戸時代に建造されたものです。また、加えてその他旧来の櫓や城門も現存しており、見応えのある大変有意義なひと時でした。今回の弘前城登城により、明治維新以前に完成した天守閣が現存する12箇所のお城全て(弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、松江城、姫路城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)を無事に見終える事が出来ました。 |
秋の大型連休、所謂シルバー・ウィークに2泊3日の日程で北海道へ医師会旅行で行ってきました。私自身の北海道訪問は今回が5回目になりますが、学生時代のチープなユースホステルの旅以来の30年ぶりの観光旅行になります。 |
平成13年6月より愛用しているマイカーの走行距離が本日12万3456kmになりました。単純に計算すると1ヶ月に約1300kmの距離を走行している事になります。熱心に新車を勧めてくださるセールスの方には申し訳ありませんが、無事故で大きな故障もなく乗り心地も未だに良好なので今後5年間は乗り続ける予定です(最近そのつもりでタイヤとバッテリーを交換しました)。写真はその瞬間のオドメーター(積算距離計)とトリップメーター(距離計)を示します。数ヶ月前に数字が1から9まで並ぶように123456km-789km=122667kmの時点で距離計を0にしていましたが、当にその計画通りの写真を撮る事が出来ました。 |